車椅子や義手に頼るように、

主治医にサポートして貰っていると感じる。

親はダメだわ、本当に。

ただ、

ダメで申し訳ねえなあって感じならまだしも

なんであそこまでバレバレでダメなのに権威ヅラしてしまうのか。

ともかく、

親とではニューギニアの戦地に連れていかれた日本軍についていくようなことになってしまいそうな気がする。

父はすばしっこいので逃げ切れるかもしれない、もしかすると一緒に最期まで傍に居てくれるかもしれない

でもそんな状況までいってからでは遅いんですよ。愛情を示されても。感謝はいたしますでございますけどね。徴兵されて真珠湾を火の海にして家庭恋人親兄弟のある男達を火だるまにしておいて、東京大空襲で文句言ってもね。

 

話が㌧だけど

高知東生さんの動画を観ても主治医が居て現在この世に存在していると思っているのではないだろうか。自分も程度の差こそあれ同じようなものを感じる。

不思議というか、違和感という・・・のは失礼かも、でもお仕着せの道徳話みたいな世の中のお陰様だとか、そんなもので括られたくない。

そんなもので救われなかったのだ。拾う神あり、だ。捨てる神だらけだ世の中は。結果的に拾う神とのトランザクションがあったから言えてるわけで捨てられたままになってる可能性は十分にあった。

なにが「絆」だ、って感じ。

あれは体育会系の同じ価値観を共有するものだけの内輪の世界だろう。

 

また話が派生した。

戻すと、なんか義手義足(乙武さんが最近試しているような最先端のやつ。もしかするとああいう技術が発達すると健常者のもろい脚よりも強靭なものが着くかも、という)電動車椅子があって初めて自分が存在しているのがなんとも心細いような。

まあでも世の中には親の七光りで生きてる奴等も大勢いる筈で。

菅ニュニアとか。

破綻しているけど。バブルみたいに。

交通事故に遭ったけど偶然助かった、の方がまだしっくりくるような。

でも考えて見れば今回のコロナワクチンに限らず、人間は薬や手術、医療の進歩によって寿命を接ぎ木して、かつてない長寿社会を日本は迎えようとしていますよね。先進国は。

後進国の貧しい人々は医療が無いからバタバタ死ぬけど。あれが普通なんだよな。科学が無ければ。

70・80で心臓や細胞の自然ながん化で亡くなったいた人がどんどん助かってますから。

うちは祖父ががんで亡くなってるけど父の姉の時代には医療が進歩して同じがんが治った。

父の兄は数十年前に心臓で亡くなったけど、高齢化して心臓に似たような症状が現れた父は最先端の治療で救われて今生きている。

(しかもそれが医療保険で賄えるから凄い状況だ。)

 

また話が飛びかけてますが、、

戻すと、(他人に助けてもらって俺生きている、いいのかな、という妙な感じ)

なんなんでしょうね。

もしかすると親と心中する方が心のどっかでは楽なのかもしれませんね。動物の本能だけで生きるのなら。人間も動物の一種ですから。